無題

冒頭の『わたしが妻を愛しているから』に、少し懐かしさを感じました。一昨年だったかな、「○○(男性のファーストネーム)の彼氏」という言葉を、身近なところで思いがけず耳にした時、はっとする想いと同時に軽い自責感も抱きました。なんで言語に縛られてるんだろう自分は、って。
〜★〜〜★〜〜★〜
総出生数に占める個体数の割合、という定義を行えば、牧村さんは少数派になるんだろうと思います。きっと、焼けつくような苦しみを通ってこられたんだろうなって思いました。「私は異常なんかじゃない」や「正しい形にならないといけない」という想いを抱くに至る環境自体、とても苦しいですよね。10代後半から20代前半あたりは特に。
〜★〜〜★〜〜★〜
「同性愛」・「異性愛」という線引きに、恣意性を棄却できません。虹が7色でなく、連続した光のスペクトルであるように、性格も恋の在りようも千差万別だと思います。私事ながら、人から「男らしい」と形容されたことは、この10年で1回しかありません。同じく以前、1人称代名詞として「俺」を使うことに抵抗があったのも事実です。今は意識していないけれど、口語でも文語でも「私」を使うことが多かったり。
〜★〜〜★〜〜★〜
小数派は大切です。特に日本では。「ケガレ」に「村八分」といった考え方は、遣唐使廃止からポツダム宣言受諾の1000年強で育まれてきた以上、200年程度じゃ変わらないでしょうが、壁にぶつからなくても生きて来れた人には記号化できないことが記号化できるんです。だから大切。
〜★〜〜★〜〜★〜
せっかく御自身のことを記者に話して下さったので、私も筆を動かしてみました。「ここに居ていいんだ」って実感は本当に素敵です。

http://www.kanaloco.jp/article/82435/cms_id/119545